月の騎士の戯言

アクセスカウンタ

zoom RSS 戯言読書録(ブログ12周年記念) そして生活はつづく

<<   作成日時 : 2017/03/20 08:45   >>

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 2

そして(たぶん)ブログもつづく。





このブログを書き始めた約12年前の今頃を思い出してみる。
当時の年齢は18歳で、大学に入学する直前、PRIDE(格闘技)とみんなのGOLF
さえあれば、とりあえず生きる欲求は満たせるとまじめに思っていた。
今にして客観視すれば、真っ当な青春から逃げ、変に中二病をこじらせた
子供であったと冷静に評価できる。けれど当時は、周りの奴らに比べれば、
世の中を分かっていると大人だと自負していた。今となっては、それがどこから
来る自信だったのか分からない。それこそゲーム脳だと警鐘されたとしても
絶対に否定していただろが、突き詰めれば似たような現象とも思えてしまう。
そんな愚かしさを含めて、18歳という年齢なのかもしれない。

大人になって、そういう風に「あの頃は愚かだったなぁ」なんて振り返ることも、
ずっと嫌悪感があった。過去を全て否定する、あるいは無条件に肯定する
ことは自分勝手だと思っていたからだ。ヤンキーが昔はワルだったとか
被害者のことも忘れて美談にするように、むかしは愚かだったけれど、
立派に成長したと言い張ることもためらいがあった。その逆もまた然りで、
今を否定してむかしは良かったと懐古におぼれたくもない。
12年前から今を振り返れば、恥ずかしく思う瞬間があるように、
これからまた12年後に今を振り返れば恥ずかしくなる瞬間はあるだろう。
過去と現在と未来は地続きで、切り離すことはできない。


地続きとするならば、12年前の思想を無駄ではなかったとできる。
PRIDEに心の底から熱狂したことは、当時ほどの熱意はなくなった今も
「格闘技を見る」という確かな趣味として、12年後まで継続している。
みんGOLを数百時間以上プレイし、ゲーム内のチャットに明け暮れたことは、
学校の部活には良い思い出がなくとも、、自分にとって学生時代の唯一といえる
「部活の(ような)思い出」として残っている。

そして、当時の鬱屈していて、独りよがりな思考がなければ、
ブログを書いていなかっただろう。誰かに対して喋りでは伝えることができない
脳内に渦巻く言葉をこのブログに公開することで、満足感を得ていた。
自分で消化するだけならネットに公開する必要はない。
特定の誰かに知ってもらいたいならブログで全員公開する必要はない。
しかし、自分にとっては、書いたものが自動的にネットに公開されて残り、
特定の誰かに向けるのではなく、気が進む人だけが中を開いて読む。
そんなブログの温度感がちょうど良く、面白く、好きであった。

ブログを書き続ける内、掃きだめのような愚痴まじりの批判から、
気がつけば内容に含まれる毒素は少しずつ薄れていったように思う。
それは毒を吐くことが目的ではなくなったからだ。
ブログで文章を書いたことは、様々な趣味や仕事にも地続きであった。
格闘技の応援文章が公式パンフレットに採用されたり、
みんGOLのプレイ日記が一部のプレイヤーには好評だったり、
ヴァンパイア騎士の感想が予想外にとてつもなく広がりを見せたり。
仕事でも、周りと比較して文章を書くことには自信を持ってできている。
それらは数少ない自分の成功体験として、とても貴重な財産であった。

いつしかブログに書くことは、フィクションの思考をばらまく非日常から、
日常的にしていることだから、当たり前に続ける習慣になってしまった。
つまり、ブログを書くことは生活として定着したのだ。



長々と前置きを書いた。表題の本「そして生活はつづく」の話に入ろう。
星野源氏(以下、敬称略)については、説明する必要なしと思うので
省略させていただく。(知らない方もググれば、すぐ詳細がわかる)
今や人気俳優となった星野源の初エッセイ集が本書である。
どんな内容か説明しなくても、星野源に興味ある人は買って読むだろうし、
星野源にアンテナが引っかからない人、普段から本を読まない人は、
たぶん手に取らない本だろう。しかし、たとえ星野源の事を一切知らなくても、
または普段は本なんて一切読まなくても、オススメできるエッセイである。

読んで目が覚めるような内容だとか、考え方が変わる崇高な本ではない。
心がスッキリ洗われるような感動話や、驚くような話がテーマでもない。
抱腹絶倒な面白さ!…でもない。(ちょっとぴり笑えるユーモアは多くある)
失礼を承知で言うと、取り留めのないしょうもない話を軸に、
さらっとしたシモネタが徒然と記された、かる〜い話を集めたエッセイである。
だから変な期待せずに、暇な時間に気楽な姿勢で読むべき本だ。
ところがさらさら読んでいると、不意にグッときてしまうことも書かれていて、
そのギャップに、このエッセイの魅力が詰まっていると思う。


エッセイとは本人の心の声を文章にしたためなもので、
人間性が直接的に表現されやすい。つまりこれが星野源の魅力なのだろう。
その思考や行動はいたって普通で、スター性よりも小市民性ばかりが
浮き彫りになっていく。だからこそ、読んだ一般人(特に冴えない男子)は
共感してしまう。オレはこんな面白い体験をした!こんな武勇伝がある!
なんて話は、テレビのトーク番組では映えるかもしれないが、
エッセイでは正直鬱陶しい。文章では、後ろに透ける人間性が重要だからだ。

星野源のエッセイは書き手にも読み手にもちょうどいい温度だ。
綴られる文章は無理に書いてる節が見えず、自然体で楽しんでいる。
読み手にとっても、クセがないから安心でき、ゆるやかに不思議に面白い。
俳優業やミュージシャンの生活であるのに、その話はどこを切り取っても
普遍的であって、誰もが抱く疑問や悩みが中心である。
でも誰もが体験してることや思いつくことを、退屈しない文章にまとめるのは
案外難しい。日常を何とか面白く書こうとして試行錯誤をしたブロガーとして、
その大変さは多少なりとも分かっている。だから、星野源はやはり特別であり、
注目されるべくして注目され、当然のごとく俳優として芽が出たのだろう。

エッセイに出てくるのは、星野源の社会人時代の話が中心であるが、
そのルーツとして、子供時代の話も多く登場する。
そこから読み取れるのは、社会に出てからの苦難や苦悩よりも、
案外本当にキツイのは、子供時代のどうすればいいか分からない無力感である。
誰しも何かしら一つは子供時代の苦い思い出はあるだろう。
星野源の実体験を読み手の記憶とリンクさせてみれば、きっと共感できるはずだ。



さて、子供時代の苦い記憶という意味で、話を自分に戻す。

このブログが12年前に書いていた愚痴混じりの話のルーツを辿れば、
世間に対する無力感の塊を吐き出しているものだった。
18歳の子供が所詮いくら思考しようとも、ブログに書こうとも、
根本的な解決にはならない。もちろん世の中は突然変わるわけもない。
とはいえ、落ち着かない脳内を一旦まとめて、文章にすると落ち着いた事実。
直接の会話で言い負かされたり、理不尽によって正当化されることはあっても、
文章に書いて振り返れば、自分は間違っていない。あるいは間違っていたとしても、
すべてを否定はされない思えた。そうしている内に、無力感しかなかった
世間との折り合いも自分なりに向き合っていけるようになったと思う。

18歳の子供が文章をブログで発信し始めたのは、
突き詰めれば共感してもらいたかったからだ。
それは先に記したように特定の誰かではなく、たまたま読んでもらえた
不特定多数に対してもそうだが、要するに自分自身を認めたかったのだ。
一般的な青春を送っているのならば、友達と遊んで発散したり、
朝まで騒いで酒を飲み忘れたり、何かにぶつけて燃焼できたのかもしれない。
それができなかった男にとって、「ひとり」でやれて最も身近だったのが、
ブログの文章に書き残すことだった。「そして生活はつづく」とリンクして書くと、
「そしてひとりはつづく」と思っていた。


12年前、格闘技界の発信で、憧れていたフレーズがある。
「孤高の天才」、二十歳前の子供はそれを目指したかったのだ。
そうはいっても「天才」でないことはまぁ薄々分かっていた。
そもそも何の天才でありたいのか、何を目指すのかも不明だ。
しかし、「孤高」にはなれるんじゃないかと思ったし、
正直ある程度は、それに近いんじゃないかと恥ずかしながら思っていた。
今にして思い返せば、「天才」はおろか、「孤高」でもなかったに違いない。

12年経って気付くのは、いくら孤高であろうとしても、満たされはしない。
結局は人の温かさに触れたくなる。それがごく普通の思考だ。
それが分かるにつれ、尖った部分はけずれて丸くなっていった。
そうして思い直していったら、人と付き合うこともできた。
「ひとり」ではなく生活することもできるように思えてきた。
天才でも孤高でもない「普通の凡人」、それを貫くことは案外難しい。
「そして生活はつづく」のであれば、「孤高の天才」よりも「普通の凡人」の方が、
幸せに過ごせる賢く尊い目標であると、12年経って分かった。
「普通の凡人」の装いであっても、星野源のように輝く方法はあるのだから。



あとがきとして。12周年に添えて、私事の報告を。
(ここからは普通の口語調に戻ります)

数年前に、ブログ内でも散々ロンリーをネタにしたり、嘆いたりしていました。
ある時より、日記のようなブログスタイルではなくなって、
そのような自虐をする機会も減ったわけですが、それにケジメをつけます。

つまりはその…。今年の内に、結婚しようと思っています。
「思っています」というのは、現時点で相手がいないのに0状態から
無理やりにでも一気に持っていこうとしてるのではなく、
そういう話が具体的に進んでいる。ということです。
気恥ずかしさだったり、情報社会を気にして(?)というのもあり、
今のところ詳細は書きません。一つだけ付け加えるならば、
ご心配はいりません。私のような奴が決断するぐらいですから、
何とかなると思ったから一歩踏み出すのであって、無謀ではないと思っています。
そういった結婚観については、近々投稿する少女漫画探訪(スペシャル)に
書きますので、そちらを読んでいただければ幸いです。
(温めていた「あの漫画」の感想です)


12年間、「孤高の天才」を目指した「普通の凡人」の戯れ言に付き合って
いただいた皆さん、私のロンリー卒業を願っていた皆さんには、
この場で感謝申し上げます。皆さんが読んで下さったからこそ、
温かい言葉をくださったからこそ、ロンリーの心は平穏を保てました。
本当に本当にありがとうございました。

これより先、当然ながらロンリーを掲げる事はもうしません。できません。
よって、ロンリー仲間として共感して下さった皆様には謝罪いたします。
ごめんなさい。重大な裏切り行為として、批判は受け入れます。
言い訳としてでも書かせてもらえるならば、本記事で書いたように、
全ては地続きであり、ロンリーな日々があったからこそ、
今があって「生活はつづく」のだと心から思っています。

これからの人生でロンリーは名乗れなくても、
胸の奥にその生き様を秘めて生きていきます。
ロンリーな人々に、どんな形であれ心の救いがあり、平穏が訪れることを願っています。

最後に。故I編集長の名セリフと、去年の流行曲から言葉を拝借して失礼します。

俺だってできる。キミらだってできますよ!!

愛が生まれるのは1人から、1人を超えてゆきましょう!

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 6
ナイス ナイス ナイス ナイス
驚いた 驚いた

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
随分ご無沙汰してしまいました。お久しぶりです。

報告があるとのことで昨日から気になっていました。もしかして…とは思いましたが

やりましたね!おめでたいです!
裏切られた感はありません!
が、どうやって知り合ったかはきになりますね〜。

私はまだまだこじらせそうです。なにしろ声優さん出演の大好きなゲームのイベントの当落でドキドキしちゃってるものですから…(^_^;)

では、またおじゃまさせていただきますね。
ダン・トーマス
2017/03/20 13:11
ダン・トーマスさんコメントありがとうございます。
ダン・トーマスさんは以前にも、ロンリーを応援してる!
と書いて下さったことを覚えていて、何だか申し訳なく
思った方の一人でした。報告の方法はいろいろ考えた末、
12周年のこのような形で書くことに決めました。

祝ってくださって嬉しいです。ありがとうございます!
相手のこともあるので、知り合った経緯などをどこまで
書くかはまた検討させてください。
ロンリーでなくなっても、おこがましくロンリーの気持ちは
誰よりも分かってる!と応援させてください。
声優さんのイベント抽選でドキドキできるのも楽しく、
熱くなれることがあるのも素敵だと思います。

よければ、今後も覗いてもらえると大変嬉しいです。
月の騎士
2017/03/20 17:33

コメントする help

ニックネーム
本 文
戯言読書録(ブログ12周年記念) そして生活はつづく 月の騎士の戯言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる