月の騎士の戯言

アクセスカウンタ

zoom RSS 戯言読書録 『殺し』と『底なし沼』

<<   作成日時 : 2016/08/20 10:47   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

活字プロレスとはなんだ。


2006年にお亡くなりになった、プロレス雑誌「週刊ファイト」元編集長の井上義啓氏、通称「I編集長」の追悼本。kamiproとこの本を読むまで、昭和プロレスのことも、週刊ファイトのことも、同氏のことも、全く存じなかったが、妄想と思想から練り上げた提言の数々には、ぶっ飛びつつも感銘を受けた。中でもタイトルにもなっている「殺し」は屈指の名文句で、「殺しとは何か?」の喫茶店トークは必見の内容。井上氏のダンディズムな人柄と、言語センスが溢れる殺しのI語録も大変に面白い。そして、最後に掲載されているI語録には、元気付けられ涙した。プロレス・格闘技に幻想を求め、夢想する活字プロレスの面白さが詰まっている至高の一冊。








文章を書いてネット上に公開する行為を始めて15年近く経つ。
そうしながら頭を整理していくと、気付かされる事実と虚実の狭間。
事実としての体験やありのまま思った感想を書いてるつもりでも、
実は主観と客観が交じっていて、誇張したり色をつけている事がある。
その逆でありもしない妄想を書いていたはずが、どこかで見たり聞いたりした事に
引っ張られた現実の話を書いていたりする。

話す事はその瞬間がすべてで、後で訂正したとしても、
その場で言ったことの事実は動かない。
書く事は誰かに見せる前に推敲できるため、
最初に吐きだしたものと後で見たものが、別ものになる事が往々にある。
例えば、今この場で率直に思ったことを書き連ね、そのまま放置してみる。
そして1年後に自分で読み返すと、まったく逆の事を考えたとする。
しかし、1年前に思ったことのすべてを書き直すのはもったいなく思い、
1年前に思った事と1年後に思った事を入り交えて推敲してみる。
すると、最初の考えでは意図してなかった文章が完成する。
このような空白の期間と推敲によって生まれるのが文章の味だと思う。
ちなみに、上記までの文章も1度書いたものを推敲してできた産物だ。

ツイッターやSNSでも瞬間的に似たようなことは起こっている。
たとえ文章を一切読み返さなかったとしても、書いて考える行為は、
その場で喋る事のプロセスとは別の空白が生じているのではないか。
また、話す事は相手の反応を見ながら、その瞬間の判断で
内容を変えることはできるが、書く事は書き終えたものを
相手に読ませて反応を見るしかないため、訂正は読後しかできない。
あるいは誰にも見せず自分だけの記録として置くための文章もあるし、
反応がまったくなかったとしても、文章の質には関係がない。



さて、どうせ今回の記事を読む人は極限られてると思い、
取っつきにくい話から始めてしまった。
言いたい事は、このような「推敲」とか「空白」によって生まれた虚実は、
正しいとか誤ってるという判断を必要とするものではない。
という事である。今回紹介する本は、とある一ジャンルに対して、
時には一人で、時には誰かと対話をしながら、
ひたすらに「プロレス・格闘技」の見立てと妄想を貫いた追悼本である。



本書に関する説明や出会いは、最初に抜粋してある
ブクログレビューにて簡単な説明を載せているので割愛とする。
「殺し」が亡くなられた直後に発売された1冊目の追悼本で、
「底なし沼」は1年後に内容を補填する形で発売された2冊目である。
尚、『井上義啓』で検索すればWikipediaに情報が載っているので、
詳しい経歴を知りたい方はそちらを参照の事。

この本について書く上で外せないワードが『活字プロレス』である。
本書が発売された2007年の頃ですら、この言葉は死滅寸前であった。
格闘技・プロレスに興味無い人にとっては馴染みはないだろう。
興味があっても知らないのは普通であるし、平成のデルフィン
(この言葉も死滅している)にとっては知る必要もない言葉である。

その起源はプロレスといえば猪木・馬場と言われていた時代の遺物で、
新聞や雑誌が多大な影響力を持っていた頃の造語である。
正確な定義はなく、人それぞれの受け取り方で構わないと思うが、
自分なりには以下のように定義してみた。
「プロレス(格闘技)を観て(あるいは観る前に)ロマン(あるいはリアル)
を好き勝手な妄想を交えて語る」ものとしてみる。

こうして説明しても、よく意味は伝わらないかもしれない。
しかし、意味は伝わらなくても応用できる言葉なのである。
実は何もプロレス(格闘技)に限ったものではなく、
今のネット社会でも通用する文化(?)じゃないかと思う。



「活字プロレス」では対象をプロレス(格闘技)として一応定義しているが、
ものの見方をそのままに対象だけを変えれば、
当ブログの少女漫画感想だろうが、食べ物の写真を載せるブログだろうが、
ツイッター、フェイスブック、LINE、その他SNSの場であっても
「活字プロレス」の理論は体現することができる。

例えば、次の様な体験を文章に起こして誰かに伝えたかったとする。
「朝起きたら少し具合が悪かった。
念のため病院に行ったら、それまでの間に治ってしまい
忙しかったのか医者に嫌な顔をされた」

これを次の様に脚色してみる。
「朝起きたら死ぬほど具合が悪くて急いで病院に行った。
移動の間にネットを観たら面白いニュースがあって治った。
病院で観てもらうことがなくて、医者に舌打ちされた。
ムカついてお金を叩きつけて帰ろうとしたら、
足りてなくて謝ってしまった。」


これで十分な活字プロレスをしている。
ここで重要なのは「真偽」はどうでもいいことである。
故に真偽が重要視されるようなことをテーマにしない事。
また真偽によって捉われてしまうような書き方をしない事。
先ほどの例でいえば、病院名や医者の名前はもちろんの事、
自分の症状についても、どうでもいいことである。
読み手がちょっと楽しめればいいのだ。
このように考察だったり、妄想だったりを入れて何かしらの
SNSで発信すれば、それで活字プロレスの一種になると思う。

長々と書いたが、本書はおそらくプロレス(格闘技)に
興味を持たない人は絶対に手に取らない本であることは承知している。
よしんば現代のプロレス・格闘技には興味があっても、
本書を読む機会はほとんどないと思う。
2016年時点で新刊の在庫はなく、中古でも見かける事は限りなく少なく、
電子書籍化もされていない。絶版に近い幻の本なのである。

私自身も、全てを読んで理解してはいない。
かいつまんで楽しむレベルである。リンクしていない事も多い。
しかし、本書は自分が格闘技を観る上でも、または文章を書く上で
心の片隅に置いている聖典である。
I編集長がもし今もご存命であれば「オリンピックもいいけど
マクレガーとディアス弟の果たし合いを見ろってんだよアンタ!」とか、
最近のUFCもぶった切ってくれたかもしれない。
そんな風にして「活字少女マンガの哲人」とかそんな異名を持てたら
カッコイイんじゃないかと、ちょっと思ってる。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
戯言読書録 『殺し』と『底なし沼』 月の騎士の戯言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる